柘植不知人先生説教集『火の流れ』第8章 真相を認めて十字架を仰げ から


第8章 真相を認めて十字架を仰げ から抜粋

わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であってほかに神はないからだ(イザヤ45.22)とあります。仰ぎ見れば救われるのです。信ずるやいなや病気は離れてしまうのです。

コリント人への第一の手紙1章18節に「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である」とあります。

これを聞いて「そんなばかな、そんな理屈はない」と言う人があります。しかし世の知恵で分かるような低級なものではありません。

滅びる者には十字架はばかげていますが、神のみ言葉に聞き従う者には、神のカとなるのです。

十字架を眺めているときに、死の毒を与えている罪が、見上げて信じるときに、罪も病も十字架に移転してしまうのです。.....

十字架のカはたとえ膿があっても、吸い取られてしまうと信じたとき、預言者エリヤが祈ったときに「そのとき主の人が下って播祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした」と、み言葉が与えられました。そこで神様、信じますと信じたとき、病が癒されていることを確信しましたので、すぐに電報を打ったのです。

マルコによる福音善11章22節に「神を信ぜよ」とありますが、病がすでに癒されていると確信をしたら吸い取られたのです。これは神癒を信じない者たちには、ばからしいと思えるかもしれませんが、十字架の力は信じる者にしか分かりません。「信んぜは神の栄光を見るべし」とありますが、これは算盤でも理屈でもありません。

それほど十字架の力は偉大なものなのです。

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今週のお題「空の写真」