『我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ』と祈れない時

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意訳 主の祈り

天のおとうさま
天のおとうさまの御名を崇めさせてください。
私たちが、天のお父さまをもっと誇ることができるようにさせてください。
天のお父さまは畏れるほど良い方です。
御国では、天のお父さまが私たちの祈りを聞かれて私たちにとって最も良いものを与えてくださることを感謝します。
この地は、天のお父さまのものですから、サタンの統治から天のお父さまの統治にかわりますように。
御国で行われた天のお父さまの御業が地でも行われますように。
私たちの日毎に必要となるものを今日もお与えください。
私たちに罪を犯すものを私達が赦すことができない時、イエス様の十字架の血で私たちを清め、私たちにイエス様の愛を与えてください。
私たちがイエス様の愛を現す器となることができるよう助け導いて下さい。
私たちは弱いものですので試みにあわせないでください。

私たちの国を治められている天のお父さまの御名があがめられますように。
多くの困難に直面している世界のすべての国々をお救いください。
特にこの日本をあなたの御国として建て直す力を私たちに与えてください。
国の政治の重い責任を担っている指導者たちにあなたを畏れ敬う霊をお与えください。
私たちひとり一人にも聖霊を豊かに注ぎ、神の市民として固く立つことができますように。
エス様は既に十字架で勝利し復活の栄光を永遠に輝かせてくださいました。
感謝します。賛美します。アーメン。

 

主の祈り

天にまします我らの父よ。
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

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お題「どうしても言いたい!」

 

一冊の聖書から

日本同盟基督教団 湖西キリス ト教会 牧師 山本博愛 の 証


愛知県生まれの私は、両親と弟の4人家族で育ちました。中学に入るころ景気の後退で父の仕事は激減し、病弱な母を抱え家計は困窮していました。そのため中学卒業後、お寺の跡取り息子たちが学ぶ、地元の曹洞宗妙厳寺に預けられました。それは母の願いでもあり、長男として拒否できませんでした。

寺院での日課は、早朝からタ方まで修行僧として、夜は寺院が運営する高校の夜間部で学びました。授業は数名の僧侶を含め一般の教員が担当しました。そのような環境(こ置かれた私は、普通の家庭生活でほあまり考えないであろう、信仰心とは何か、真理とは何かという疑問に悩み求めるようになりました。別の見方をすれば、仏教には本物の真理がないための恐れから、そのような思いになったとも言えます。その時の私は、まさに神に背を向けていた罪と死の状態にありました。

授業では時々、本堂で他の宗教の方々の講話もあり、カトリツク神父の話を聞いた時、信仰を守るために殉教までするキリスト教徒の姿勢に心を打たれ、聖書をぜひ一度読んでみたい思いに強く駆られました。そんな時、用事で職員室に行き担任の先生の机の本棚を見ると、1冊の聖書が置いてありました。聞くと先生は神道の家系ということで、"聖書は必要ないので欲しければ待って行っていいよ"と言うので喜んでもらって帰りました。それほ日本国際ギヂ才ン協会の日英対照の新約聖書でした。

さっそく読みたいと思いましたが、寺院では公然と聖書を読めないため、私は倉庫や屋根の上でこっそり読んでいました。読み出すと、まさに渇いた荒れ地が水を吸い込むような心境で、10代後半の感受性が強い時期に、何度も何度も繰り返し読みました。特に、「山上の説教」で語られるイエス。キリストのみ言葉は、真実そのものであるという気持ちにさせられました。

その聖書の裏表紙にほ、真実のみ言葉の意味について「私は神の御前に罪人であり、主イエス・キリストは私の罪のために十字架にかかっで死んで下さった事。及び私を義とせんがために復活して下さった事を信じ、キリストを私の個人的な救い主として受け入れることを、いまここに告白いたします」という内容が記されていました。私ほこの聖書に記されているみ言葉は真実であり、私が神の御前に罪人あると示され、イエス。キリストを救い主として信じ受け入れることを告白いたしました。まさしく私が神に立ち返ること
ができたのほ、神のこのような導き(こよるものでした。

その後、旧約聖書も購入し、天地創造が記された創世記から読み進め、イザや書44章のみ言葉により、私の心に偶像礼拝の罪が明確にされていきました。そればかりか、自分が偶像礼拝で人々を惑わす仕事に就いていることを悔い改めさせられました。すぐ寺院をやめ教会にこ行こうと思いましたが、許されず悩みました。やがて夜間高校を卒業し、東京赤坂の別院に行きました。それからしばらくして教会の扉を叩き、許可を得てお世話になった寺院を去ることができました。

最初に近くにあった日本基督教団富士見町教会に導かれ、1年間程求道者会で聖書を学び、イースタ一礼拝で信仰告白をもって洗礼の恵みfこあずかりました。主の十字架と復活により私の罪は赦され、救いへと導かれて教会へ連なるものとされたことを確信するものとなりました。

それからの私は、偶像礼拝の罪から離れることができ、本当の平安を得ました。それ以来、主日の礼拝を守り、聖書を読み、祈りの生活へと聖霊によって導かれ生かされるようになりました。これはまさに1冊のギヂオンからの聖書が私を変えてくれたのです。このことを心から喜び、主に感謝しつつ、これからも主とともに歩んで行きたいと思います。


あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは。自分自身から出たことなではなく、神からの賜物です。(エペソ2:8)

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君が代 に対するネガティブなイメージからの解放

以前、牧師の息子さんがつぎのように言っていました。

「ネットで見たヘブライ語君が代を知ってから  君が代を以前はあまり歌いたくなかったけど今はむしろ歌いたい」

キリスト者君が代に対するネガティブなイメージから解放されますように。

歴史を通して働く偉大なる神に栄光がありますように。

 

君が代」の音声をヘブル語として読み解くと

「立ち上がれ! 
 神を讃えよ! 
 神の選民であるシオンの民よ。
 喜べ!
 (神の国を相続する) 残された民よ!
 人類に救いが訪れ、神の預言は成就した。
 全地にあまねく宣べ伝えよ。」

ヘブライ語で解き明かす「君が代」 | 日本とユダヤのハーモニー

 

 また君が代の歌詞は、詩編61編と同じです。

詩篇 61:6~8
 どうか王のいのちを延ばし、その齢を代々に至らせてください。彼が、神の御前で、いつまでも王座に着いているようにしてください。 恵みとまこととを彼に授け、彼を保つようにしてください。こうして、私は、あなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、 私の誓いを日ごとに果たしましょう。

 

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ペンテコステの前後 -柘植不知人先生自叙伝- より

我が国の霊界において一大波動を起こした牧師 柘植不知人によって救われた者は12万人、癒された者は6万人。神様が多くの人の祈りに答えた結果なのだと以下の章を読み思う。

-柘植不知人先生自叙伝-  第十四章 台湾伝道 (二)

「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力
をあらわされる」。歴代志下16.9


屏束(へいとう)のリバイバル
私たちは台南より高雄市に移りました。ここではすでに全市に広告を配布して、すべての準備は整っていましたので、毎晩、聴衆が天幕より溢れるほど集まり、救いを求める者も大勢出てきました。特に高雄病院では危篤の病人が癒され、神癒の栄光を拝しました。南雄の集会中に、屏東の長老教会の呉牧師が来て、「私の教会は非常に貧弱で、謝礼を差し上げることもできないようなところですが、来ていただけないでしょうか」と求められました。そのとき私は、「台湾に来た目的は、名誉や利益のためではなく、ただ貴い魂を救うためで、殉教も覚悟して来たのですから、お求めであれば喜んでまいりましょう」と答えました。すると呉牧師はたいへん喜び、すぐに帰って準備をされました。
私たちは高雄の使命が終わりましたので、約束のとおりに屏東に行きました。そこでまず呉牧師夫人に導かれて、準備祈薦のために会場となる公園へ行きました。
そこで、呉夫人は眼病のために包帯をしておられたので、まずそのために祈ろうとしましたら、彼女は声を改めて、「私の眼などは、たとえ潰れてもかまいません。また、このために先生方を迎えたのでもありません。この町の滅びる民が救われるためにお願いしたのですから、私の眼などかまわずに、市民のために少しでも多く祈ってください」と言われました。
それから夫人は、ヨハネ黙示録を開き、現代の教会の状態と主の来られる時が近いことを解き明かし、「今は教会が眠っている時ではない、眠りから醒めて伝道するべき時です」と、一時間にわたって熱心に奨励されたのです。
そもそも呉牧師は、十六年前に聖霊バプテスマを受けられ、それ以来、屏東の魂だけでなく、台湾全島のリバイバルのために日夜祈り続けてこられました。そのために身体まで痩せ衰えてしまうほど、殉教的奉仕の生涯を送られた人でした。私たちが中央公園で準備祈講会をしていた間も、すでに山に入り、断食徹夜をして、リバイバルのために祈っておられました。その留守中は、夫人がたくさんの子どもを抱えて、教会の一切をしておられました。そのために、なりふりかまわず、その時もお子さんを背中に負われたままで、自分を忘れ、ただ眼中にあるのは滅びる魂のことだけでした。
このような真剣な態度を見た私たちは、生ぬるい態度を恥じ、悔い改めて、主の前に打ち伏し、もう一度神からの霊の賜物が盛んにされるように祈り求め、格別、屏東のリバイバルのために祈って宿に帰りました。
屏東市郊外の中央の公園に天幕を張って、まず日本人のために三日間の伝道集会を開きました。昼は信者のための聖別会をしたところが、ここで主の栄光が現れ、多くの救われる者が起こりました。初めて純福昔に接した信者たちは、新しい恵みに浴し、喜びに満たされました。
そして台湾人のための集会となり、三日目の夜の伝道集会は、聴衆がすでに千余名集まっていました。その夜のメッセージは「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストにおける永遠のいのちである」(ローマ6.23)と導かれました。そこでまず罪について述べ、罪の恐ろしさを深刻に語りました。聴衆一同は息を殺して熱心に聞いていましたが、その光景はなんとも表現することのできないような厳かさがあり、聖霊は一人一人に過り、罪の呵責に苦しんでいる状態が現れてきました。
次に、「神の賜物は私たちの主イエス・キリストによって与えられる永遠のいのちである。主イエスはこの罪を贖うために、天の御座に執着せず、世界の一小国の小さな村ベツレヘムの宿屋の馬小屋にお生まれになった。つまり人類の最下級のところにお生まれになったのは、弱者の友、貧者の連れ、病人の慰めとなられるためであった」という奥義を述べました。
また、主イエスが公生涯では、あざけり、ののしりの中を歩まれ、グッセマネでは血の汗を流され、祭司の庭では衣を剥ぎ取られ、見るに忍びないような屈辱と苦しみを受けられ、ピラトの法廷では不当な死罪の宣告を受けられ、重い十字架を負って、倒れながらもカルバリー山に登られ、呪いの十字架に御体を釘づけられて、肉体の苦しみと心の痛みによって死の権威を滅ぼしたこと、魂の苦痛について、贖いの真理と父なる神および主イエスの無限の愛を説きすすめていきました。
説教もほとんど終わりに近づいたころ、この教会学校の生徒の上に、突然聖霊の火が下り、彼らは涙を流し、泣き叫び始めました。他の聴衆は厳粛に神を崇めていました。すると、呉牧師夫人は、子どもを背に負いながら、教会学校の生徒を指導して、生徒とともに、「悔い改めよ、救われよ」と、聴衆の中を縫い歩いて勧め始めました。
生徒が涙ながらに近づいて行くと、聴衆は次々と床に倒れ、泣きながら救いを叫び求めだしました。
このリバイバルのことが街中に伝わり、人々は何が起こったのかと群がってきました。集まって来た者たちは、そのすさまじい光景を見ているうちに、聖霊に感じ、罪を悔い改め、救いを叫び求めるようになりました。
私はどうすることもできなくなり、説教をやめて講壇から下りて立っていました。
すると日本語が上手に話せる一人の青年が、杖を手に持って高慢そうなそぶりで私に近づき、「これはどうしたことか」と問うてきました。そこで「これは神の御霊に感じて悔い改めているのです」と静かに答えますと、この青年もたちまち御霊の感動を受けて、悔い改めて叫び始めました。
このような光景が続き、今度は教会学校の生徒たちが五人、十人とグループをつくり、街の中へ飛び出して行き、何とも表現のできないような悲壮な声で「悔い改めよ、亡びる……亡びる」と叫び回りました。この声は深夜の全市に響きわたり、この光景を見聞きした人たちは「これはただごとではない」と、市民が続々と公園に押しかけてきました。その数は三千人とも言われています。その人たちもこの異様な光景をしばらく眺めているうちに、御霊の感動を受けて、悔い改めました。その姿は、真のリバイバルというほかはありませんでした。
その夜はひとまず集会を閉じました。翌日の台湾人の聖別会においても、信徒のうちに再びリバイバルが起こり、集会の回を重ねるたびに、ますます神の栄光が現れ、とても集会を閉じることができないような状態となりました。
次の働きの予定もありましたので、ここを呉牧師に委ねることにして、私たちはひとまず集会を閉じることにしました。呉牧師は集会の初めから山に人って帰らず、そのリバイバルの夜も、山で祈っておられたということでした。
つまり、屏東の地にリバイバルが起こったのは、この熱心な聖徒の呉牧師が十六年もの長い間この町のために真剣な祈りの手を挙げ続けてきた結果であったことは明らかであります。

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今週のお題「空の写真」



なぜ、祈りは聞かれるのでしょうか?

なぜ、祈りは聞かれるのでしょうか?
ヨハネ福音書16章23~24節にその秘訣が記されています。
主の十字架と復活、聖霊がそそがれることによって、的外れの質問をしていた弟子たちにも、イエス様の御名によって祈ることができるという約束のみ言葉です。
あなたのみ言葉は真実であることを感謝します。
受ける価値もない私にもあなたは豊かに聞いてくださっていることを畏れます。
賛美します。
 
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。      ーヨハネ 16:23~24ー
 

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【歌詞】
あがめます主の御名 心からあなたを
素晴らしい あなたの御名
栄光とほまれを 捧げますあなたに
大いなる 主イエスきみよ

あがめます主の御名 心からあなたを
素晴らしい あなたの御名
栄光とほまれを 捧げますあなたに
愛します 主イエスきみよ

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今週のお題「空の写真」

 

筋萎縮側索硬化症(ALS)からの癒し

KM姉妹の証(筋萎縮側索硬化症からの癒し) 
長い間、お祈りありがとうございました ケアハウスmにいらした○○さんから、いつも祈ってくださっていると聞き本当に力づけられていました。
主は本当にうなじのこわい民であった私を変え癒してくださいました。愚かな私に神様がしてくださったことをお伝えできたらと思い、主の導きを祈りつつお話しさせていただきます。
ALSという病気はご存知かと思いますが、脳から筋肉への神経伝達がうまくいかず手や足を動かすこと、食べること、話すこと、呼吸することが出来なくなって、全身の筋肉が動かなくなって、死に至る病です。夫の専門ではなかったのですが、往診する医師がいなくて何人かのALSの患者さんの往診をしていました。夫はこんなに辛い病気は見たことがないと言い、自分が一番かかりたくない病気はALSだと時々言っているのを聞き、わたしもALSになったら気がくるってしまうだろうなと漠然と思っていました。
2011年に、家事に時間がかかるようになり、疲れ方が半端ではなく、左手の握力も急激に弱くなり、医大に2週間検査入院をしてALSと診断されました。私のように早い状態でALSの専門の先生のところにたどりつくことは、ほとんどないらしいのですが、夫がALSの患者さんを見ていたことが早い診断に結び付き、後から神様のみ手を感じました。何かあったらすぐ大きな病院に運び込むようにとのことで退院しました。
診断されて最初のころ、ケアハウスmで牧師が癒されるように祈ってくださいました。お祈りしていただいたことはありがたくうれしかったのですが、治らないから難病 3-5年で呼吸器をつけなければ死といわれているのにどうして癒しの祈りをという気持ちがありました。その後N長老さんご夫妻が来てくださって ·治るんですよ奇跡が起こっているのだから“と本やCDを下さり、励ましてくださいました。奇跡は初代教会の時代や現在では聖書が手に入らない未開の地で神様がされること、現代の日本では奇跡は起こらないと教えられていました。来てくださったことはとてもうれしく心強かったけれど癒されると単純に信じて祈り励ましてくださる牧師やN長老さんご夫妻が~このときは単純と思ってしまったのですが、今考えると恥ずかしくなります~が、まぶしくうらやましくかつ私から遠い所に住んでいる人たちのように思えました。
やはりそのころですが祈っていてルカ1:38 マリヤは言った。「本当に私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことば通りこのに身におこりますように」を示され、この御言葉の意味を思いめぐらせもせず、また、主は陶器師 陶器帥のように私を自由にされる権利がおありになるのだ、と聖書にあったと思い、主のご計画通りに私はなるのだ、ALSで死ぬんだと短絡的に思い込み、癒しをあきらめてしまっていました。ただ出来損ないの陶器の私でも天のお父さんがヘビをおあたえになるはずはない、悪いものを下さるはずはない、 ALSは神様の赠り物、どうしてALSなのか、なぜ私にALSなのかはわからないけど、ALSは神様からのプレゼントとの思いがどういうわけか私のうちにどっかり腰を据えました。おかげで症状では苦しみましたが平安に過ごすことができました。感謝なことに、私のALSの進行はゆるやかだったのですが、主治医からは私ほどALSと戦わない人はいないといわれ、それが緩やかな経過に結びついているのかといわれました。
2011年から祈りのうちに示された注射、薬、水素などで一時的によくなったり悪くなったり少しよくなりを繰り返しながら徐々に悪くなっていきました。
私の父が一緒に暮らしていたのですが、若い時に息子を亡くした父が生きている間は私を生かしてください、体を動かしてくださいと祈り続けていました。2015年夏父が亡くなり、それまでの介護は主人と子供たち、介護保険に頼りきりだったのですが父を見送ることができたこと体が動けたことを心からイエス様に感謝しました。
201 6年秋私たち、からし種の群れの一人の姉妹から「KさんALS治ってない? 神様が癒したと言われたように思ったのだけれど」と言われました。その時私は状態が悪い方向に向かっていたので、人間だもん彼女だって間違えることもあるよなと思いました。
聖書には癒すと書いてあるからこれからも癒されるよう祈り続けると言ってくれました。ちょうどそのころ聖書で、起こったことは先に主が告げていた、そのことを主が行ったということがうなじのこわい民がわかるようにという意味のところ-イザヤ4 8 : 3~5-またアモス3:7-まことに神である主はそのはかり事をご自分のしもベ預言者たちにしめさないでは何事もなさらない-そんなところが何度か示されました。からし種でみんなが祈って示されたことがそのようになることを何度か体験し、ああ神様がしてくださったと興奮し喜び感謝したのですが、主が私のこと癒したといわれたときいても癒されるとは思えませんでした。
2010年暮れ, 二人の姉妹がからし種の祈り会に加わりました。癒すとお言葉にあるから癒されるよう祈ってもいいかといわれました。うなじのこわい民である私は祈ってくださいとお願いはしたのですが、癒されることはないと思い込んでいました。ただただ痛いのは嫌です、つらいのは嫌です、私に痛いつらい苦しいはあいませんとつぶやいているだけでした。ただお言葉の約束で祈ることを教えられ、また姉妹の父親の牧師さんの「神様は昔も今も変わらないお方です。」の言葉に私の中で何かが変わっていきました。
2017年4月に入って肩まで上がっていた左腕は上がらなくなるし血液中の酸素濃度も低下するし声も出なくなることが増えたし軽いはずのものを持っても鉄の塊のようでした。
1日おきに点滴をしていたのですが、針がうまくはいらず、注射液がもれて、痛い思いをすることが増えたし、疲れて寝ている時間も長くなって、もうこれでいいと思いました。これ以上悪くなってももう新しい治療法は求めないし、注射もだめならそれでいいと思いこれまで悪くなるたびに祈りながら治療を続けてくれましたが父を見送れたこと、6年弱にわたって体を動かせたことが本当にありがたくイエス様に心から感謝しました。
主人とともに主に心から感謝でき、死も近いものとして受け止めました。そんなある日 詩篇を読もうと聖書を開き 読むつもりでなかった詩篇107を間違えて読んでいました。20節 を読んだとき- 主はみ言葉を送って彼らを癒しその滅びの穴から彼らを助け出された- これを読んだときALSになって初めて癒されるかもしれない、癒されるのだと思いました。同時にマタイ8:8, 9
しかし百人隊長はこたえていった。「主よ、あなたを私の屋根の下においれする資格は私にはありません。ただ、お言葉をください。そうすれば私のしもペは直ります。と申しますのは、私も権威の下にあるものですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに「行け」と言えばいきますし、別のものに「来い」と言えばきます。また しもべに「これをせよ」と言えば, その通りにいたします。がこれまで文章としてはわかったつもりになるのですが、どうしてもベールがかかったようで釈然としなかったのが"急に私の中で明確になり あ 私はイエス様の権威のもとにい
るのだから聖書に喜びなさいと書かれていれば喜べばいいし、癒すと書かれているならイエス様に癒していただけるんだ、イエス様の権威のもとにいるんだから聖書の言葉をそのまま受け取ればいいんだと嬉しくなりました。その日はそれからもずーとうれしかったし次の日も起きてからうれしくてニコニコ状態で過ごしていました。そんな時、数日前から愛子ホーマンさんの癒しのユーチューブを見ていた夫が、祈ってもいいかと聞きますのでうれしくてニコニコの私は夫の前に立ちました。夫が祈ってくれている間背中があたたかくなり背が伸びていくような感覚と体が四方に宇宙に広がっていくようななんと表現してよいかわからない心地よい感覚の中にいました。異言での祈りだったので、祈りの内容は私にはわかりませんでした。
夫が祈り終わって腕を上げてと言われてあげると上がるのです。夫は祈っている間に癒された確信があったようですが私はただ表現しがたい心地よさの中にいただけでポカンとしてしまいました。その後気が付くと衰えていた筋肉が戻り血液中の酸素濃度も健康人並みになっていました。中でも驚いたのは、左手で土鍋をもって水を入れていた自分に気づいたことです。また点滴がまだ残っていたのでもったいないから点滴を続けようということになって針を刺してもらったら3回刺しなおして確実に血管内に入っているのに点滴液が入っていかなかったのです。これには夫もびっくりしていました。これまでいろいろな恵みを頂き、いろいろ不思議を経験させていただきながら癒されないと頑固に決め込んでいたうなじのこわい私を癒してくださった主、主が今も生きて働いておられることを、聖書の言葉が生きていることを教えて下さった神様にひれ伏し感謝します。ここまで支えてくださった皆様の祈りに感謝いたします。 -にて-

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柘植不知人先生説教集『火の流れ』第8章 真相を認めて十字架を仰げ から

第8章 真相を認めて十字架を仰げ から抜粋

わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であってほかに神はないからだ(イザヤ45.22)とあります。仰ぎ見れば救われるのです。信ずるやいなや病気は離れてしまうのです。

コリント人への第一の手紙1章18節に「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である」とあります。

これを聞いて「そんなばかな、そんな理屈はない」と言う人があります。しかし世の知恵で分かるような低級なものではありません。

滅びる者には十字架はばかげていますが、神のみ言葉に聞き従う者には、神のカとなるのです。

十字架を眺めているときに、死の毒を与えている罪が、見上げて信じるときに、罪も病も十字架に移転してしまうのです。.....

十字架のカはたとえ膿があっても、吸い取られてしまうと信じたとき、預言者エリヤが祈ったときに「そのとき主の人が下って播祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした」と、み言葉が与えられました。そこで神様、信じますと信じたとき、病が癒されていることを確信しましたので、すぐに電報を打ったのです。

マルコによる福音善11章22節に「神を信ぜよ」とありますが、病がすでに癒されていると確信をしたら吸い取られたのです。これは神癒を信じない者たちには、ばからしいと思えるかもしれませんが、十字架の力は信じる者にしか分かりません。「信んぜは神の栄光を見るべし」とありますが、これは算盤でも理屈でもありません。

それほど十字架の力は偉大なものなのです。

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