筋萎縮側索硬化症(ALS)からの癒し


KM姉妹の証(筋萎縮側索硬化症からの癒し) 
長い間、お祈りありがとうございました ケアハウスmにいらした○○さんから、いつも祈ってくださっていると聞き本当に力づけられていました。
主は本当にうなじのこわい民であった私を変え癒してくださいました。愚かな私に神様がしてくださったことをお伝えできたらと思い、主の導きを祈りつつお話しさせていただきます。
ALSという病気はご存知かと思いますが、脳から筋肉への神経伝達がうまくいかず手や足を動かすこと、食べること、話すこと、呼吸することが出来なくなって、全身の筋肉が動かなくなって、死に至る病です。夫の専門ではなかったのですが、往診する医師がいなくて何人かのALSの患者さんの往診をしていました。夫はこんなに辛い病気は見たことがないと言い、自分が一番かかりたくない病気はALSだと時々言っているのを聞き、わたしもALSになったら気がくるってしまうだろうなと漠然と思っていました。
2011年に、家事に時間がかかるようになり、疲れ方が半端ではなく、左手の握力も急激に弱くなり、医大に2週間検査入院をしてALSと診断されました。私のように早い状態でALSの専門の先生のところにたどりつくことは、ほとんどないらしいのですが、夫がALSの患者さんを見ていたことが早い診断に結び付き、後から神様のみ手を感じました。何かあったらすぐ大きな病院に運び込むようにとのことで退院しました。
診断されて最初のころ、ケアハウスmで牧師が癒されるように祈ってくださいました。お祈りしていただいたことはありがたくうれしかったのですが、治らないから難病 3-5年で呼吸器をつけなければ死といわれているのにどうして癒しの祈りをという気持ちがありました。その後N長老さんご夫妻が来てくださって ·治るんですよ奇跡が起こっているのだから“と本やCDを下さり、励ましてくださいました。奇跡は初代教会の時代や現在では聖書が手に入らない未開の地で神様がされること、現代の日本では奇跡は起こらないと教えられていました。来てくださったことはとてもうれしく心強かったけれど癒されると単純に信じて祈り励ましてくださる牧師やN長老さんご夫妻が~このときは単純と思ってしまったのですが、今考えると恥ずかしくなります~が、まぶしくうらやましくかつ私から遠い所に住んでいる人たちのように思えました。
やはりそのころですが祈っていてルカ1:38 マリヤは言った。「本当に私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことば通りこのに身におこりますように」を示され、この御言葉の意味を思いめぐらせもせず、また、主は陶器師 陶器帥のように私を自由にされる権利がおありになるのだ、と聖書にあったと思い、主のご計画通りに私はなるのだ、ALSで死ぬんだと短絡的に思い込み、癒しをあきらめてしまっていました。ただ出来損ないの陶器の私でも天のお父さんがヘビをおあたえになるはずはない、悪いものを下さるはずはない、 ALSは神様の赠り物、どうしてALSなのか、なぜ私にALSなのかはわからないけど、ALSは神様からのプレゼントとの思いがどういうわけか私のうちにどっかり腰を据えました。おかげで症状では苦しみましたが平安に過ごすことができました。感謝なことに、私のALSの進行はゆるやかだったのですが、主治医からは私ほどALSと戦わない人はいないといわれ、それが緩やかな経過に結びついているのかといわれました。
2011年から祈りのうちに示された注射、薬、水素などで一時的によくなったり悪くなったり少しよくなりを繰り返しながら徐々に悪くなっていきました。
私の父が一緒に暮らしていたのですが、若い時に息子を亡くした父が生きている間は私を生かしてください、体を動かしてくださいと祈り続けていました。2015年夏父が亡くなり、それまでの介護は主人と子供たち、介護保険に頼りきりだったのですが父を見送ることができたこと体が動けたことを心からイエス様に感謝しました。
201 6年秋私たち、からし種の群れの一人の姉妹から「KさんALS治ってない? 神様が癒したと言われたように思ったのだけれど」と言われました。その時私は状態が悪い方向に向かっていたので、人間だもん彼女だって間違えることもあるよなと思いました。
聖書には癒すと書いてあるからこれからも癒されるよう祈り続けると言ってくれました。ちょうどそのころ聖書で、起こったことは先に主が告げていた、そのことを主が行ったということがうなじのこわい民がわかるようにという意味のところ-イザヤ4 8 : 3~5-またアモス3:7-まことに神である主はそのはかり事をご自分のしもベ預言者たちにしめさないでは何事もなさらない-そんなところが何度か示されました。からし種でみんなが祈って示されたことがそのようになることを何度か体験し、ああ神様がしてくださったと興奮し喜び感謝したのですが、主が私のこと癒したといわれたときいても癒されるとは思えませんでした。
2010年暮れ, 二人の姉妹がからし種の祈り会に加わりました。癒すとお言葉にあるから癒されるよう祈ってもいいかといわれました。うなじのこわい民である私は祈ってくださいとお願いはしたのですが、癒されることはないと思い込んでいました。ただただ痛いのは嫌です、つらいのは嫌です、私に痛いつらい苦しいはあいませんとつぶやいているだけでした。ただお言葉の約束で祈ることを教えられ、また姉妹の父親の牧師さんの「神様は昔も今も変わらないお方です。」の言葉に私の中で何かが変わっていきました。
2017年4月に入って肩まで上がっていた左腕は上がらなくなるし血液中の酸素濃度も低下するし声も出なくなることが増えたし軽いはずのものを持っても鉄の塊のようでした。
1日おきに点滴をしていたのですが、針がうまくはいらず、注射液がもれて、痛い思いをすることが増えたし、疲れて寝ている時間も長くなって、もうこれでいいと思いました。これ以上悪くなってももう新しい治療法は求めないし、注射もだめならそれでいいと思いこれまで悪くなるたびに祈りながら治療を続けてくれましたが父を見送れたこと、6年弱にわたって体を動かせたことが本当にありがたくイエス様に心から感謝しました。
主人とともに主に心から感謝でき、死も近いものとして受け止めました。そんなある日 詩篇を読もうと聖書を開き 読むつもりでなかった詩篇107を間違えて読んでいました。20節 を読んだとき- 主はみ言葉を送って彼らを癒しその滅びの穴から彼らを助け出された- これを読んだときALSになって初めて癒されるかもしれない、癒されるのだと思いました。同時にマタイ8:8, 9
しかし百人隊長はこたえていった。「主よ、あなたを私の屋根の下においれする資格は私にはありません。ただ、お言葉をください。そうすれば私のしもペは直ります。と申しますのは、私も権威の下にあるものですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに「行け」と言えばいきますし、別のものに「来い」と言えばきます。また しもべに「これをせよ」と言えば, その通りにいたします。がこれまで文章としてはわかったつもりになるのですが、どうしてもベールがかかったようで釈然としなかったのが"急に私の中で明確になり あ 私はイエス様の権威のもとにい
るのだから聖書に喜びなさいと書かれていれば喜べばいいし、癒すと書かれているならイエス様に癒していただけるんだ、イエス様の権威のもとにいるんだから聖書の言葉をそのまま受け取ればいいんだと嬉しくなりました。その日はそれからもずーとうれしかったし次の日も起きてからうれしくてニコニコ状態で過ごしていました。そんな時、数日前から愛子ホーマンさんの癒しのユーチューブを見ていた夫が、祈ってもいいかと聞きますのでうれしくてニコニコの私は夫の前に立ちました。夫が祈ってくれている間背中があたたかくなり背が伸びていくような感覚と体が四方に宇宙に広がっていくようななんと表現してよいかわからない心地よい感覚の中にいました。異言での祈りだったので、祈りの内容は私にはわかりませんでした。
夫が祈り終わって腕を上げてと言われてあげると上がるのです。夫は祈っている間に癒された確信があったようですが私はただ表現しがたい心地よさの中にいただけでポカンとしてしまいました。その後気が付くと衰えていた筋肉が戻り血液中の酸素濃度も健康人並みになっていました。中でも驚いたのは、左手で土鍋をもって水を入れていた自分に気づいたことです。また点滴がまだ残っていたのでもったいないから点滴を続けようということになって針を刺してもらったら3回刺しなおして確実に血管内に入っているのに点滴液が入っていかなかったのです。これには夫もびっくりしていました。これまでいろいろな恵みを頂き、いろいろ不思議を経験させていただきながら癒されないと頑固に決め込んでいたうなじのこわい私を癒してくださった主、主が今も生きて働いておられることを、聖書の言葉が生きていることを教えて下さった神様にひれ伏し感謝します。ここまで支えてくださった皆様の祈りに感謝いたします。 -にて-

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今週のお題「空の写真」