「土方のおやじ」を読んで泣いてます


1946年2月11日ディハーン博士は全米に向けて「日本のヤング・カップルが宣教師として、日本に帰国することになった。皆さん、このふたりのために祈ってほしい」とラジオ放送で訴えた。数日後、ディハーン博士から手紙が届き「あなた方夫妻の宣教ために、多くの励ましと献金が寄せられています。これらの手紙に返事をしてあげてください。」と書かれていた。どの手紙にも献金が同封されていて、100ドル、200ドル、300ドル...多くの献金があり、穐近氏は一つ一つ手紙を読んでは感謝し、涙し、感激した。中でも特に1つの手紙が彼の胸を強く打った。その手紙は鉛筆で書かれ、下手な英語でたどたどしく綴られていた。「親愛なるクリスチャンの友へ、私の息子は戦争中に日本人に殺されました。でもあなた達が日本に帰って福音を伝える、と聞いたのでお手伝いしたいです。ミセス・エソ・ハリス・プリンス・ペンシルベニア」そして、それには2ドルの献金が添えてあった。この時、寄せられた何千という手紙の中で、あとにも先にも2ドルというわずかな献金はこの1通だけであった。しかし、彼はこの手紙に最も強く打たれ、感激し、また励まされた。後でわかった事であるが、戦死したその息子は彼女の一人息子だったという。この婦人は、彼が日本に来てからも、度々献金を送り続けた。1962年に彼がアメリカに仕事で行った時、この婦人を訪ねると病気で教会に来れない状態で年を取って体も小さくなり、床に伏していたが、なんとその生活は赤貧洗うが如き有様であった。彼女こそ、天に宝を積むために全てを神第一とし、貧しさをいとわず、ひたすら福音宣教のために捧げ続けた神の人である。そして彼女の属している教会もよく捧げる教会である。今日にいたるまで毎月25ドルを献げ続け、日曜日学校のために美しいカードをいつも婦人会から送り続けられている。

このようなご婦人がおられたことを覚え、感謝します。

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